井上紙工印刷株式会社(福岡県朝倉市持丸、従業員73人)は2024九州印刷情報産業展に出展し、強みである後加工を生かしたDMの数々や、朝倉地域の地域活性事業などを紹介した。今回は同社本社を訪問し、井上慶一郎社長に同社の歩みと展望を聞いた(光山忠良)。
秋月の歴史から生まれた紙工業
秋月藩の故地・秋月は福岡県朝倉市の山間に位置する美しい町だ。秋月城址の黒門の凛としたさま、遠くから聞こえる剣道に励む子供たちの掛け声に、質実剛健を旨とした秋月の士族たちに思いをはせる。野鳥川のせせらぎ、山間の田園も、日本の原風景を見る思いだ。
井上紙工印刷株式会社が、秋月のふもと、甘木で創業したのは、実は秋月藩の歴史と関係がある。
福岡藩の支藩だった秋月藩の士族たちは、幕末・維新、そして明治初期の士族の乱「秋月の乱」に翻弄され貧窮する。そこで生業としたのが、和紙の手漉きであった。
和紙は秋月の名産の一つとされ、今でも1軒だけ和紙工房が残るが、その分家が井上紙工印刷の現社長・井上慶一郎氏の祖父・一三氏である。和紙工房の次男であった一三氏は1948年、井上加工紙工業所を創業、紙加工業を始め、特に当時高級品であった綿布団の製袋で大きく成長した。井上紙工印刷が紙工、とくに製袋に強いのはこのような背景がある。
2代目の純一氏は昭和1968年、九州全域に店舗展開する流通業を顧客に商業印刷に本格参入、総合印刷会社の体制を整えた。ところが1992年、オフセット輪転機の盛期に、あえてオフ輪を導入せずに、A倍判の枚葉機を導入。チラシ等の大量生産ではなく、包装資材の印刷・加工というニッチ戦略を取った。現在、A倍判の枚葉機は九州では3台しかなく、そのうち2台が同社が保有している。こうして同社は、手提げ袋・包装紙の印刷・加工に強い印刷会社としてのポジションを確立した。
九州印刷情報産業展で「ジッパー封筒」などを紹介
5月31日・6月1日に福岡市で開かれた2024九州印刷情報産業展でも、同社のブースではA倍判印刷機と数々の後加工技術を生かした紙製品が出展された。例えばまるで折り紙の技法のように開くごとに変形するギミック(仕掛け)が施されたDMや、ジッパーのようなミシン目を破くだけで開封できる「ジッパー封筒」などである。全面に印刷したバリエーション豊かな大型封筒なども同社の強みである。井上社長は「アパレルなどのリアル店舗が低迷し、包装紙や手提げ袋の需要が減るなか、通販王国である九州の特徴を生かそうと思い、カゴ落ち客(カートに入れたけれども購入までには至らなかったネット通販の見込客)やVIP客に向けた開封率の高いDMに焦点をあてた」と出展のテーマについて話している。
朝倉地域のブランディングめざす
ブースの一角で展示され、目を引いたのが朝倉地域の観光ガイドブック「ゆるり、あさくら」である。第2冊の2024年4月号は、オールカラー112ページの高級感のあるつくりで、記事も、朝倉地域の農産物や史跡などを丹念に取材した読み応えのある内容である。発行所はあさくら観光協会、編集・発売・印刷は井上紙工印刷が行った。
1968年に朝倉市で生まれ、30歳で地元に帰った井上社長は、地元の青年会議所などでの交流を重ねるうちに、地域のブランディングに関心を持ち始めたという。朝倉地域は特に農産物に恵まれている。それならば地域の「食」のブランドストーリーを打ち出そうと考えた。
その一つが、バウムクーヘンの新ブランド「米の座」である。数々のコンペティションで受賞した地元の米を使い、地元のベーカリーで焼いているバームクーヘンをブランディングし、パッケージの需要に落とし込んでいる。井上社長はこれら朝倉地域の名産物を「朝市倉市」のブランドとして販売する商社の設立を構想している。
朝倉地域の歴史とともに生まれ、朝倉地域のブランディング事業に取り組んでいる井上紙工印刷。井上社長は「印刷業は斜陽産業かもしれないが、ものを包み、おもてなしする日本の文化はなくならない。食文化をブランディングすることで印刷の需要を掘り起こし、印刷業界を元気にしたい」と話している。