福岡市が2012年に「スタートアップ都市」を宣言して12年、高島宗一郎市長はその成果として「開業率1位」をたびたび挙げている。ところが廃業率もトップレベルである。さも革新的なスタートアップがタケノコのように成長しているという印象を与え、廃業率トップレベルというのも「新陳代謝がうまくいっている」という説明がなされることが多い。
私は書籍や講演の中で、「スタートアップの開廃業が多いのはいいことなのか」との疑問を示し、福岡市に住む者の体感として、「飲食業が出てきては潰れている状況がはたして福岡市の経済にプラスなのか」という問題提起をしてきた。
そのもやもやが、加藤雅俊著『スタートアップとは何か―経済活性化への処方箋』(2024年4月19日発刊)を読めば幾分かは晴れてくる。著者が紹介する研究によれば、スタートアップは「機会追求型」(自身が発見した起業機会を追求するパターン)と「生計確立型」(生計を立てるために起業するパターン)の2種類があり、機会追求型のスタートアップが多い先進国では経済発展と正の関係にあり、生計確立型スタートアップが多い発展途上国では経済発展と負の関係にある。つまり、経済活性化の観点では、イノベーティブな起業家は良いけれども、その場しのぎの起業家は駄目だ、ということになる。
このようにスタートアップと一言で言っても質が異なるのであり、一概に経済活性化のために良いとか悪いとかは言えない。著者もそのことを口を酸っぱくして言っている。しかしその割には、著者は創業から10年以上経過している中小企業が70%を超えている日本は「新陳代謝が遅れていて」「企業の少子高齢化が進んでいて」「経済活性化における新陳代謝の重要性はこれまでの社会で広く認識されてきたはず」と断ずる。印刷業界にも50年企業、100年企業が多いが、まるで事業を継続させることが経済の活性化を阻んでいるかのようではないか。
スタートアップだろうがなかろうが、企業というものは継続企業(ゴーイング・コンサーン)をめざすのが一般的である。スタートアップにはスタートアップの長所を、継続企業には継続企業の長所を伸ばすことが大事であると私は考えるのだが。
そもそも、著者も指摘しているように、日本国民はスタートアップよりも、安定している大企業に勤めることへの評価が高い。そういった文化を無視して、欧米並みにスタートアップを増やそうという施策や主張にまず無理がある。
これも著者が指摘するように、若い企業ほど新規的なイノベーションを生み、経験値の高い企業ほど効率的にイノベーションを生む。それならば、「破壊的なイノベーション」はいっそアメリカのスタートアップに譲って、「持続的なイノベーション」を日本の大企業に託してはどうか。
私の経験則として、若くてもマンネリ化している企業もあれば、年数を重ねていてもイノベーティブな企業もある。イノベーションを起こしつつ継続企業でありつづけるべきだと思うのだがいかがだろうか。