破壊的な技術を持つ新興企業が優良な大企業をも打ち負かしてしまう理論「イノベーションのジレンマ」を提唱したクレイトン・クリステンセンが2020年1月に67歳で亡くなった。著書として遺作となったのがこの『イノベーションの経済学』(原題:The Prosperity Paradox: How Innovation Can Lift Nations Out of Poverty)である。
貧しい国々に対しては、公共セクターが道路や学校などのインフラを提供しても救えない、民間セクターが市場創造型イノベーションを提供すれば、市場が活性化し、インフラや制度も後からついてくる――という明確な主張である。…その通りかもしれない。井戸を掘り水道を整備した日本人医師の中村哲さんは偉大であり、多くの地元民を救ったに違いないが、その中村さんをもってしてもアフガニスタンという国を貧困から脱却させたとはいいがたい。それよりも、一見無消費に見える貧しい人々に対して、入りやすい生命保険、契約しやすい携帯電話、衛生的なパンを提供し、市場を創造した方が、雇用と消費を生み、貧困から脱却できる――というクリステンセンの主張は説得力があるように思える。
ただ、新興国にこそ市場開拓のチャンスがあるという主張ははたして目新しいだろうか。民間セクターは、人口増加の著しいアフリカや南アジアの国々の市場としてのポテンシャルを見逃してはいないし、チャレンジしているし、第一クリステンセンのいう「無消費の国」とはとらえていない。
また、クリステンセンは市場創造イノベーションこそが貧困国を救うとしているが、入りやすい生命保険、契約しやすい携帯電話、衛生的なパンが、果たして市場創造型イノベーションといえるだろうか。むしろ貧困者向けに改良された持続的イノベーションこそが、貧困国を救うという事例ではないだろうか。
細かい点でも気になるところがある。20世紀のフォードの大衆車は、馬車馬の糞害から数多くの人命を救ったというが、大衆車の普及による交通事故死は、それをはるかに超える人命を奪ったし、奪い続けている。「腐敗と戦うのをやめて代替案を提供せよ」という主張も、倫理的にも、また経済発展の障壁を取り除く手段としても危ういものがある。
インフラや制度が先か、イノベーションが先かというのは、鶏が先か卵が先かという理論に似ており、両輪が回らないと経済は発展しないと思う。また中国・韓国とサハラ以南のアフリカを分けたものは、なにもイノベーションだけが理由ではないと思う。さまざまな文化的・政治的背景を無視して「どの国にも繁栄のチャンスがある」と言い切るのは、少し短絡的すぎはしないかとは思う。